和歌山県伊都郡かつらぎ町天野に「山荘 天の里」がオープンした際、久しぶりに世界遺産・丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)をお参りしてきました。また西行の妻と娘の住まいとされる庵を再建した西行堂も初めて訪ねました。
西行堂の場所がわからず、車でうろうろしていると、オープニングセレモニーにも参加されていた天野自治区の区長さんで、西行堂のすぐ近くにお住いで語り部もされていたという佐藤恵さんが声をかけてくれ、案内していただきました。


(いつ来ても心がしゃんとする丹生都比売神社)


(西行の妻と娘の住まいとされる庵を再建した西行堂)

(西行堂の登り口には西行の妻と娘の墓と伝えられている墓が)
ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (山家集)
ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比 (続古今和歌集)
西行(1118年 -1190年3月23日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧侶で歌人。元々は北面武士で23歳で出家。出家後は心のおもむくまま各地に草庵をいとなみ、諸国を巡る漂泊の旅に出て、多くの和歌を残したとされます。
出家の動機については、友人の急死説や失恋説などがあるそうですが、妻と娘が出家して修行しながら住んだと伝えられるのがこの天野の庵で、出家後一時は母と共に高野山麓の天野の地で修行に明け暮れたともいわれます。佐藤さんによると、村人に「西行さん」と親しまれ、いまでも村の子供たちとのほのぼのとした交流が歌などの形で語り継がれているといいます。この「西行さん」の庵を、跡地近くの小高い山に天野の人たちが再建したのが西行堂で、今あるのは2代目とか。
西行堂付近には桜が満開で、西行堂やそのすぐ近くにある妻と娘のお墓はいまでもきれいに掃除され、いまでも大事に守られていました。天野の歴史の底深さに改めて感動するとともに、「夢見る懐かしい風景」「癒しの国」といわれる天野の素晴らしい風景は、こうした天野の人たちの純粋で素朴な心からも醸し出されていることを知ることができました。
いつ訪ねても、身も心も洗われるような天野の里に脱帽です。
posted by nkouji at 22:06|
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