
(1400人の日本人が参加しソウル市内ロッテホテルワールドで開かれた日韓友好観光交流の夕べであいさつする二階俊博・自民党総務会長)

(テレビで大きく取り上げられていることもあり、交流の夕べ終了後も二階氏の周りには人垣が絶えず若い女性たちに拍手で迎えられ記念撮影、韓国要人も次々と握手や挨拶に訪れた)

(会場のソウル市内ロッテホテルワールドには歓迎の垂れ幕が)
日韓国交正常化50周年を記念した日韓友好交流ツアー(関西発友鹿洞コース13日から15日の2泊3日)に私も参加してきました。ソウル市内ロッテホテルワールドを会場にした日韓友好観光交流の夕べ式典など歓迎会や勉強会など強行軍で、観光は最終日帰る直前の約3時間という特殊なツアーでしたが、自民党の二階俊博総務会長が全国から1400人余を集めた大デレゲーションが訪韓、13日は朴大統領との会談も実現したこともあり、政治的に“凍りつくように冷え切った”両国の関係が「これを機会に改善へ向かう」という韓国内での期待の大きさをひしひしと実感しました。

(金忠善(キム・チュンソン、沙也可)将軍、大邱広域市発行のパンフから)
また二階会長と朴槿恵大統領との会談では、尾花正啓・和歌山市長を団長にわれわれがそのゆかりの地、大邱広域市友鹿洞を訪ねた沙也可(帰化名、金忠善)将軍の話で始まり、大統領はこれまでになく終始和やかな表情だったと聞き、和歌山ゆかりの政治家と歴史上の将軍をきっかけに日韓の歴史の大きな節目になれば素晴らしいことですし、和歌山県民としても嬉しい限りです。
今回の大訪韓団は、昨年2月11日、和歌山市の和歌山ビッグホエールで開かれた「第10回国内観光活性化フォーラム」(全国旅行業協会主催)に参加した朴三求(パク・サムグ)クムホアシアナグループ会長と全国旅行業協会の会長を務める二階氏が韓国で交流イベントを開くことで一致し、実現したものです。
今回の訪韓団の話は、韓国の有力紙・朝鮮日報が「自民党の二階俊博総務会長が来月13日から16日にかけ、韓日国交正常化50年を記念し、県知事や官庁トップ、企業家、一般人ら約1000人からなる日韓友好・交流観光団を率いて韓国を訪れる。関係の冷え込みで国交正常化の記念文化行事が中止される中、今年初めて行われる大規模な民間交流イベントとなる」(1月27日)など事前に大きく報じられ、今回の会談、式典についても各社が大きく報道しています。
朴大統領との階段で話が出た沙也可(帰化名、金忠善)将軍は、秀吉の朝鮮出兵の際、鉄砲隊の将として出兵するも「この戦いに義はない」として朝鮮軍に降伏。逆に相手に鉄砲を教え、その後の戦いにも大きな功績を残し、李王朝の将軍にまで昇りつめ、金忠善(キムチュンソン)という姓を賜り、大邱郊外の友鹿洞に住み、今も一族が住んでいます。

(花束を歓迎の贈られた尾花正啓・和歌山市長=右、出迎えて歓迎する一族の代表「賜姓金海金氏宗会」の金相保会長=真ん中帽子の人、大邱広域市友鹿洞の達城韓日友好館で)
日本では正式な記録はないのですが、司馬遼太郎氏が「街道をゆく2韓のくに紀行」で紹介しその存在が知られることに。私もこれを読んで存在は知っていましたが、まさか和歌山に縁があるとは、10年前和歌山に来るまで知りませんでした。和歌山在住で和歌山放送の番組審議会の委員を長年やって頂いていた作家・神坂次郎氏が小説「海の伽倻(かや)琴」などで、紀州雑賀衆の首領・鈴木孫市郎であることを主張されていたのです。サイカをサヤカと聞こえた、雑賀衆はその鉄砲の技術で信長軍を苦しめたが最後は秀吉に負け、秀吉軍の鉄砲隊として朝鮮に送り込まれた…そんな経緯を知るとありうる話で、私も神坂次郎氏を読み、直接お話を聞くうちに沙也可=雑賀説は納得でき、腑に落ちてきます。
神坂次郎氏と二階氏らの働きかけなどで、2001年には「海の伽倻(かや)琴」が韓国語訳で出版され、10年には沙也可から数えて14代目など一族が来日し、和歌山で「沙也可シンポジウム」を開催、東照宮の参道に両国の言葉で功績を刻んだ顕彰碑が建立されています。12年には沙也可の偉業を讃え、位牌が祀られている「鹿洞書院」の脇に「達城韓日友好館」が建てられ、その二階には和歌山コーナーも設けられ神坂次郎氏の小説「海の伽倻琴」とその翻訳本などが展示されるなど韓国・大邱市側もサヤカ将軍は和歌山出身が有力となりつつあるのです。
一度沙也可の土地を訪ねたい、と思っていたところなので、今回の訪韓団に参加しましたが、和歌山市のメンバーを見てびっくり。神坂次郎氏の娘さんが内外交流課長として尾花市長に同行していたのです。13日夜の金氏一族との交流会では私も閉会の挨拶を仰せつかりましたが、和歌山市と沙也可の郷との交流は神坂次郎氏の小説がきっかけ。帰国したらご報告に、と思っていたところなで不思議な縁を感じ、会場の皆さんにその存在をご紹介したところです。

(神坂次郎氏の小説「海の伽倻琴」とその翻訳本など沙也可関連の資料が展示されている達城韓日友好館)
沙也可には、もうひとつのエピソードがあります。06年経済産業大臣だった二階氏を、野党のハンナラ党の党首だった朴槿恵氏が訪ねた際に沙也可の存在が話題に。二階氏が「その子孫は7000人とも言われ、その中には法務大臣になられた方(金致烈氏)も」と話すと、朴氏は「友鹿洞は自分の選挙区で、金致烈氏は、父の朴正煕・元大統領が最も信頼していた人。私が選挙に初めて出馬した際には、指導してくれた人です」と話が弾んだというのです。
こうした二階氏特有の政治家をはじめ各界要人との普段からの交流、信頼の積み重ねが“凍りつくように冷え切った”両国関係の中での会談を実現させたのだと思います。
両国は経済はもちろん文化芸術、スポーツなどきっても切れない関係なのに、両国首脳が腹を割って話もできず、交流にブレーキをかけている現状は異常です。両国間の冷めた関係の中で、お互いを感情論で罵り合い、攻撃・排斥する一部の人たちの言動には時代を逆戻りさせかねない危うさを感じます。両国首脳には、今回ようやくセッティングされた危機打開の糸口、チャンスを最大限活かし、政治家として使命・責任を背負って勇気ある決断をお願いしたいところです。
posted by nkouji at 20:00|
Comment(0)
|
あちこちの話